やむのこばなし

ひっそりと続けてる人を重んじるエンジニアのブログ

なぜ心理的安全性は必要なのか?

 

ここ最近心理的安全性についてあれこれ考えたことをつらつらと書いていく。

 

※個人の見解です。夜寝れないテンションで頭の中を空にするために書きました。

結論として、心理的安全性は、チームに「健全な衝突」を起こせるようにするために必要であり、成長していくに必要不可欠な土台であるので必要である。

 

バズワードとしての心理的安全性

 

心理的安全性」という言葉はバズワードのように扱われ、誤解を生みやすい存在である。
たとえば、「仲が良い」状態を心理的安全性が高いと言っていたり、「きついことをストレートに言う」状態を心理的安全性が低いと言っていたりする。

 

しかしこれはよくある誤解であり、心理的安全性を理解していない。

 

心理的安全性が高いとどんな状態になるのか?という点から見ていく。

 

心理的安全性が高いチームでは「挑戦や成長が促進される」状態になる。

 

言い換えれば、「失敗から学び、成功に達せる」と全員が理解している状態である。

 

このようなチームでは、チームでの失敗は共有され、積極的にメンバーは挑戦を行い、そこからまた得た失敗から学びを共有しあいゴールに向かって成長していく。

 

逆に、心理的安全性が低いチームの状態の例をあげてみると「絶対にミスが許されない環境で、かつ誰にも相談ができない」状態のチームになる。

 

この状態のチームでは、以下のことが起こりうる

  • 失敗を共有しないので同じ失敗を他の人が繰り返す可能性がある
  • ミスを恐れ、挑戦をしなくなり、言われたこと以外をしなくなる
  • ミスを隠す
  • 相談が行われず、独りよがりの解のまま進んでしまう
  • マネージャーは自分のミスを作りたくないので、マイクロマネジメントが増加する
  • 健全な衝突ができず、衝突を避け、飲み会での愚痴が増える
  • 思考が完璧主義に寄り、他人に厳しくなる
  • 他責思考になる
  • 会議で誰も意見を発しなくなる

 

中でも健全な衝突を出来なくなるというのが際立って組織レベルでは問題になる。

 

問題があるにも関わらず、問題が声として浮かび上がってこない。

 

次に、上辺だけの関係なので面従腹背の状態となり飲み会での愚痴が増える。

 

そのまま物事は改善されることがなく進むので、疲労感から他責するようにになったり、メンバーの持つ知識を活かしきれなかったり、時には転職という手段にも繋がる。

 

健全な衝突を起こせるように、心理的安全性が必要になる。これが理由である。

 

身近にある例

実はこの状態を簡単に誰でも観測する方法がある。それはTwitterでバズっているツイートのリプや引用リツイートを見る方法である。

 

Twitterでは名前も知らない人の意見に対して自分の意見を添えてツイートする機能がある。引用リツイートのことだ。

 

この引用リツイートを用いて、あるツイートで発している内容に対して別の見解を述べるケースがある。

 

ここで本来行われてほしいのは、別の見解から得られる新たな気づき、そこから生まれる総合的な解への発展、そして見解をくれた方への感謝だ。

 

しかし現実はそう上手くは回らない。平気で初手から見解が甘いことを理由に人格否定が行われるケースもあるし、議論がエスカレートした結果、人格否定が行われるケースもある。

 

残念ながら、心理的安全性が低く、匿名性が保たれてしまうとこのような結果になってしまうのである。

 

場面場面で見ていく。

 

まずAさんがある主張ツイートを行う。この主張ツイートは自分の経験から得た考えを共有するものである。

 

次にBさんがAさんの主張に対して自分の見解で少し否定的なものを乗せ、引用リツイートする。BさんはAさんとは当然別々の人生を歩んでおり、経験も全く異なる。だからこそ根底の価値観が異なり別の見解が生まれる。

 

AさんはBさんの主張を見る。

 

ここで、もし自分がAさんだったらどうするだろうか想像してみてほしい。

 

名前も知らないような人から急に否定的な意見が投げつけられ、自分の経験を否定されるのである。

 

感情をコントロールできる人であればBさんの主張ある価値観を探るために対話を始める。

 

しかし、人間の本能はそう出来ていない。攻撃されたら防御のために攻撃をするのである。

 

当然インターネット上で自分をバカだと晒したくはないため、自分の主張を正しいとするためにBさんに対して反論を行う。

 

これは無知を晒したくないという心理的安全性が低い状態で発生する行動である。

 

また、その主張を見てブロックする行動にでる可能性もある。これは衝突を避けるという心理的安全性が低い状態で発生する行動である。

 

そして反論されたBさんはどう感じるだろうか?これも同様に、無知を晒さないために自分の主張をより強固なものにするため言葉が強くなっていくのである。

 

そうして次第に人格否定が行われ、いつの間にか勝敗に焦点が当たっているのである。

 

これを社内・チーム内で、起こしたくないのであれば心理的安全性は必要なのである。

 

人間は前に進むのは簡単に出来るが、後ろを見たり、進んでいる途中で止まるのは本能的に難しい。

 

だからこそ理性で後ろを見直したり、立ち止まる勇気を出す必要がある。

 

おわりに

今のようなトレンドの移り変わりが早い時代では、機敏に失敗から学びを得て、それを成功に繋げる必要があり、さらに自分たちも成長していかないと取り残されて行ってしまう。

 

ここまであえて使わないようにしていた言葉だが、この時代に対応するにはアジャイルな思考・概念で取り組んでいかなければいけない。

 

アジャイルに行うために心理的安全性はステップ0として必要不可欠なものなのである。というのもこの話のもう1つの言いたいことである。

 

 

深夜寝れなくて深く考えずに考えたことを書きました。後で起きて恥ずかしくなったら消すかもしれません。